神仏の源流に触れる旅天につながる太古の聖地を訪ねるプレミアムツアー特設サイト

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天につながる太古の聖地を訪ねるプレミアムツアーのご紹介

動画について

コンセプトストーリー

二つの海を分ける細く長い不思議な地形。これはいったいどうやってできたのだろう?そう考えてしまうのは現代人だけではありません。
 7世紀の初めに編纂された丹後風土記には「国生みましし大神、伊射奈芸命 (イザナギノミコト)、天に通ひ行でまさむとして、椅(ハシ)を作り立てたまひき。故、天の椅立という。」とあります。古代先進地域"タニワ(丹波国)"の人々は神様がお造りになったものと考えていたようです。「椅」とは梯子または橋の意味であるとされ、後の世に天橋立と呼ばれるようになるわけですが、では、地上のどこが天につながっていたのでしょうか?
 答えは聖地。眞名井原の磐座(イワクラ)です。
 天橋立を眼下に望み、太陽が南面するこの地は太古から自然の神に祈りが捧げられてきました。やがて"タニワ"の祖先はこの地に守護神である豊受大神を奉り与謝宮(現在の眞名井神社)を創祀します。
 大陸渡来の先進文化を持つ"タニワ"は大和政権にも影響を及ぼし、大和の守護神"天照大神"を与謝宮に引き寄せました。
 四年の間、両大神をこの地で合祀した後、天照は伊勢内宮へ、その後に豊受は伊勢外宮に遷座したと伝えられています。それが"元伊勢伝承"。
 神話の聖地が、実際に"日本の源流"となったのです。
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元伊勢の聖地としての輝きは、仏教と融合し、丹後の都として開花します。
 天橋立を中心に東には天孫降臨の冠島沓島。西に薬師如来の国分寺、南に文殊菩薩の智恩寺、北には聖観世音菩薩の成相寺を配置し、神仏の一大霊境が形づくられました。
 中世になると、新たな解釈の天橋立創生神話が語られ始めます。その一つが智恩寺に伝わる"久世戸縁起"。
 国生みの神に請われた中国五台山の文殊菩薩が、地上で暴れる悪龍を千年かけて説法し、善龍へと教化したという話に続いて、国生みの神が地上へと降りる天浮橋は文殊菩薩の如意であり、それが海に落ちて一夜にして龍神が土を盛り、天人が松を植えて天橋立となったと結ばれています。仏の世界観でみた天橋立の由来でありますが、"天地をつなぐ橋"と"龍が神仏を守護する"という要素は脈々と地域のDNAとなってゆきます。
 聖観世音菩薩の霊験譚を縁起とする成相寺は、天橋立を龍のそのものとする仏話や古老伝にある龍伝説、左甚五郎作といわれる真向きの龍の彫刻などもあり、古くから龍が棲むと山と言われています。
 また、元伊勢籠神社にも龍にまつわる伝承が多く、眞名井神社には豊受大神の御使いとして狛龍が鎮座しているほど。
 見渡すことができる境域に、これほど龍との出会いが果たせる所は他にはないでしょう。
 それは太古から天とのつながりを強く意識し、磐座に祈りを捧げてきた人々の末裔が、中世においては天へ昇る龍にそのつながりを託したからなのかもしれません。
 そう、"天につながる想い"こそ"当地の神仏の源流"なのです。
 神や仏とじっと向き合う中で、皆様の祈りが天に昇りその御許に届くことを思い描くこと、そして太古からその場所で祈りを捧げてきた人々との一体感を感じて頂くことでわき起こる"幸せな心持ち"をこのツアーを通して是非体感して頂きたいものです。
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