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文珠から廻旋橋を渡り、もう一つ橋を過ぎて少しばかり行くと、天橋立の一番広い場所に至り、傍らに磯清水(いそしみず)の井戸などあり、茂みの中にひっそりと神殿があります。これが天橋立神社で、もとは橋立明神と云われ対岸の文殊堂の鎮守社として建てられたと伝えられています。
内海側の海岸に石の鳥居があり、大正十四年まではそこから対岸まで渡し船が通っていました。
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昔の社殿は立派で、観応二年(1251年)の絵巻物を見ると、広場いっぱいに大勢の参詣人が宴会をして
おり、雪舟の「天橋立図」などその他の絵巻物や屏風絵などにも賑やかな人の集まりが描かれています。
御神体は「豊受大神」「八大龍王」「大川大明神」で日本神話の創成の物語、龍神伝説、文殊菩薩渡来の説話など、神佛の世界、日本と大陸の融合の空間など、天橋立一帯にただよう気配など感じて、想像するにも楽しいスポットです。
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日本三景の一つとして名高い天橋立は、もともと籠神社の参道として発祥したもので、古来より天と地、神と人とを結ぶ架け橋として信じられていた。
『古事記』に登場する神伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)二柱の神が降り立った「天浮橋(あめのうきはし)」は、この天橋立であると云われ、古伝に海橋立(あまのはしだて)、海浮橋(あまのうきはし)ともある。つまり、日本の国生み神話の重要な舞台がここ天橋立であったことが窺える。
その聖なる天橋立の北方に鎮座するのが元伊勢 籠神社である。
元伊勢とは天照大神(あまてらすおおみかみ)が倭(やまと)の国笠縫邑(かさぬいのむら)[奈良県桜井市]を出られて伊勢神宮にお鎮まりになるまで巡幸された地を指す。
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籠神社は天照大神が最初に巡幸された神社で、第十代崇神天皇の御代にお遷りになった。
もともと丹後国の総氏神である籠神社のご祭神豊受大神(とようけのおおかみ)と共に四年間祀られた。
その後、天照大神は、第十一代垂仁天皇の御代に、豊受大神は、第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢神宮へ遷られた。それに依り内宮外宮唯一の元伊勢(伊勢根本の社)として全国より崇敬を集めている。二十数社ある元伊勢の中でも随一の社格と由緒を持つ所以がここにある。その証として伊勢神宮と籠神社にしか許されない五色の座玉(ごしきのすえたま)が高欄に据えられ、厳かな神秘の光を放っている。
また、本殿の造りも伊勢神宮と同じ唯一神明造りとなっている。天照豊受両大神がご遷座の後は、天孫彦火明命(てんそんひこほあかりのみこと)を主祭神として、その系譜に連なる宮司家海部(あまべ)氏が古代より籠神社に奉仕し、現宮司で八十二代を算(かぞ)え、その家系図は国宝に指定されている。
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籠神社の奥宮 眞名井神社は、別名を久志濱宮(くしはまのみや)とも云う。くし≠ニは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、この地に神代の昔、豊受大神が天降られ、五穀と養蚕を丹波地方に伝えられた。
この丹波という地名は豊かに稔る田を豊受大神がご覧になって、『あなにえし田庭!』(なんとすばらしい田の庭よ!)とよろこばれた事から名付けられ、水気根源、五穀豊穣の大神として崇敬が厚い。
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養老三年(719年)以前の本宮がこの眞名井神社で、本殿の裏に縄文晩(2,500年前)からそのままの形を残す磐座(いわくら)[社殿が造られる以前の斎場] があり、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られている。遠い上代より人々の純真な祈りが捧げられ、あたりは清らかな空気に包まれた聖地である。磐座の前に佇む時、誰もが大きな神気に圧倒される。
又、境内には天の眞名井の水というご霊水が滾々(こんこん)と湧き出ている。社伝によると、このご霊水は、三代目祖神(そじん)天村雲命(あめのむらくものみこと)が高天の原(天上の神々の住む世界)にまいのぼり、琥珀(こはく)の鉢に天上のお水を持ち帰って、やわした(合わせた)と伝えられるご霊水である。
霊験あらたかなこの眞名井の水を汲みに、近隣府県はもとより全国各地から訪れる人が絶えず、眞名井神社は知る人ぞ知る日本最古のパワースポットなのである。
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お問い合わせ (社)天橋立観光協会 TEL:0772-22-8030 FAX:0772-22-8710
〒626-0001 京都府宮津市字文珠314番地の2 天橋立ターミナルセンター丹後観光情報センター内 (ご案内時間:9:00〜18:00)
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